最近の僕の心境

最近の僕の心境

暗雲が世界に広がり、人々の気持ちが不安定な昨今でありますが、何故か小生は、今、自分が何をすべきなのかが見えてきて、日々の生活に生きがいを感じています。

『生きがい』、小生にとっては、一寸大袈裟な響きをもっている言葉ですが、今まで使うことがあったとすれば、それは、生まれてきた娘を自分の作品のように大事に育ててきた過程でしょうか。
あとは、真剣に口にした記憶はありません。
50歳代にして持った、いや、持たせていただいたこの生きがいを書く前に、小生のこの十年くらいの間にした旅について理解いただいた方がより判っていただけると思います。

訪れた国はおよそ五十ヶ国、一回だけの国もあれば十数回訪れた国もあり、その滞在日数はまちまちですが、確実に年三ヶ月くらいは日本を離れていました。
例えば、動物との共存共栄を真剣に考え大自然を大切に守ろうとしているオーストラリアを一周したり、環境の保護に国民一人一人がまじめに取り組んでいるドイツで、都市部で人は如何にして住むべきなのかを学んだり、革新的な事を取り入れながら伝統を重んじるイギリスを旅しながら、イギリス人は何故、誇りを失わずに人生をまっとう出来るかを考えたり、福祉厚生の重みで若者達が働く意欲を無くしている北欧の国々に一寸失望したり、極身近にある自然と対話しながら家族の絆を作ることが出来るキャンプ地を多くもつニュージーランドで、自分の家族のことを考えたり、東南アジア、インド、南米・・・などなど。
滞在するその国の人たちと接し、その国の持っている独自の文化を理解しようと自分なりに努力をしてきました。
勿論、世界中全てを旅したわけでもないし、長期に滞在して一国を充分語れる程詰めて学んだ訳でもありません。
そんな自分なりのポリシーを持つ旅をしながら、ある場所に立ち、何らかのオーラを感じ、その時の自分と自問自答したことは、自分という一人の人間を見つめる為には絶好の機会だったのです。
『柴君、君は今の生き方で納得?何か行動をしなくていいのかね?』と。

これは独断になりますが、人間という動物は、全て自分という基地から電波を放ったり、受信したりして生きていると思います。
その電波の基準値は、各自が違います。
だから、地球に生まれた出たときは、自分という人間が中心であり平等である筈なのです。
小生はいつも思うに、この地球上に無駄に生まれた者は誰一人としていないのではないでしょうか、いや、いてはいけない筈なのに、何故か他人に淘汰されてしまう人がでてしまう。
もし自分が淘汰される側にいたとしたら、もし自分の子供がハンデを背負っていたとしたら、もし自分の意思に反して国策として人と殺し合いをし、殺さなければならないとしたら。
これは単なる架空のモジレーションなのだろうか、全く関係のないことといえるのだろうかと。

2億年前の断層からポロリ崩れ落ちるプレートを見ながらこんなさらなる問い掛けをしてみると、それじゃー、今までの自分は、弱者に対して本当に優しい心根で接することができたのだろうかと。
陽明学の祖と言われる中江藤樹のいう
『人は生まれながらにして美しき心をもってこの世に生まれる』
この言葉を生活の基本にして生きてきた自分は、果たして人に対して本当に寛容でいられたのかと。
でも小生は神ではない。
どこまで近づけばよいのか?
あらゆる欲望を捨てて人の為に人生を捧げたシュバイツアー博士、マザー・テレサのようにはとてもとても出来る筈も無い。
答えが出ない曖昧な日々が続いていたある日、とある場所に佇んだ時、詩人ワーズ・ワースの言葉が頭を過ぎったのです。
『自然は自然を愛する者を決して裏切る事はない』
つまり媚びる事無く、心で接することが全てを解きほぐすと。
出来る範囲で無理をする事無く、今までの自分で、少し行動を起こす事だと。
今、小生がやらなければならない事はこれだと感じたのです。
小生の生きがいは、ハンデを持った子供に対して、一寸、手助けをさせてもらうことで喜んでもらう事なのです。
その子供達の笑顔を見ることなのです。一緒に笑うことなのです。

昔だったら、こんな事を書くなんてとても考えられないことでした。
勿論、そんな事は心の中で持っていれば良いことで、少し恥ずかしい事と思っていました。
でもそう考えていながら内面では、少しは周りに理解して欲しいという気持ちが無い訳でもありませんでした。
こんなところでも自分のもつ心の矛盾が偽善に感じられて葛藤しました。
でも今は違います。そんな事はどうでもいいのです。
多少、皆さんより顔を知られている小生が施設に行くことで喜んでくれるなら、そしてそれが広告塔として役に立つなら、顔を前面に出して弱い立場の人のお役に立とう、メッセンジャーになろうと。
加えて、物質のつながりではなく、Heart to Heartで支えようという気持ちになってくれる人たちを増やそうと。
ここで言っておかなければならないことは、子供というのは小生にとって、皆弱者になります。
手をかしてあげなければならない人です。
色々な国を旅して感じることは、どの国でも子供は宝です。
自分の子供だけではなく、子供は世界の宝なんです。
大人たちが、子供が夢を持てるような世界になるよう努力しなければならないわけです。
ですから、せめて世界の宝である幼い子供が飢えの為に死んでいくことを、我々大人たちは、もっともっと真剣に考えましょう。
もし、自分の子供が飢えのために明日死ぬかもしれないとしたら?
一寸した手助けで弱者の心を救えるとしたら?
さァ、何か行動を起こしましょう!

こんなことを言っても、器が小さいせいか、たまに気持ちのコントロールが出来なくなる時があります。
そんな小生ではありますが、この考え方と行動が、いつか役者の道を大きく開いてくれるのではないかと思っています。
今年、柴基金なるものを立ち上げました。 自分達自身が責任をもって届ける、行動するシステムです。

柴俊夫
白十字 ホットライン 2003.MAY.NO135 に記載(原文まま)

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